4月2日(日)
今日はPalm Sunday!
「さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、 「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。 もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。 こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。 すなわち、
「シオンの娘に告げよ、
見よ、あなたの王がおいでになる、
柔和なおかたで、ろばに乗って、
くびきを負うろばの子に乗って」。
弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、 ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。 そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、
「ダビデの子に、ホサナ。
主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
いと高き所に、ホサナ」。
(マタイ 21:1-9)
今日は、ヨシュア記9~12章を読みましょう。
皆さま、ヨシュア記を読んで、どうかつまづかないようにしてください。
ヨシュア記は、平家物語のような一種の「戦記」です。
敵部族を、女も子どもも全て殺します。本当に神がこのように命じたのだろうかと思ってしまいます。
聖書は神のことが書いてありますが、これを書いたのは人間の手でした。
そこには誤解も生じたと思います。虐殺することが、神の考えだと早合点して、手段を選ばなかったのだとする説もあります。そして、それが神のお考えだと、確信して書き残したのが、ヨシュア記だと考える人もいます。
どこからこのような誤解が生じたのでしょうか。それは、カナン征服は神の約束であること、また、偶像神を拝む民は間違っており、滅ぼさなければならないと考えたのではないでしょうか。これは正しいことですが、この目的を達成しようとするあまり、手段を選ばなくなってしまったと考えるのです。「聖戦」のためには、何をしても構わない、という間違った考えに陥ったと思われます。難しい問題ですが、このような誤解も、包み隠さず書いてある「ヨシュア記」につまづかないで読んでください。
「こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。」
(ヨシュア記11:23)