あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。 – ブログ

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10月25日(金) 今日は、詩編118篇と、コリント人への手紙 第一の12~14章を読みましょう。 第12章は「九つの聖霊の賜物」が語られています。 知恵の言葉 知識の言葉 信仰 病気をいやす力 奇跡を行う力 預言する力 霊を見分ける力 異言を語る力 異言を解釈する力、 これらの九つの賜物です。賜物とは努力によって獲得できるものではなく、 全く神の恵みとして与えられるものです。 ですから、与えられないからといって不平を言うことはできませんし、 与えられたからといって誇ってもなりません。しかし、求めない人には、あたえようもありませんから、私たちは熱心に求める必要があります。 [しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。] (1コリ12:11~12) [それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。] (1コリ12:22~27)

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