4月25日(木)
今日は、サムエル記下9~12章を読みましょう。
ダビデ物語は決して英雄物語ではありません。旧約聖書に出てくる他の人物と同じように、私たちは決して美化してはならないのです。
何故ならば、聖書はそのようには伝えていませんから。
聖書は、アダムの子孫の罪を語り、そして同時にアブラハムになされた祝福の約束を果たそうとする神の誠実を描こうとしています。ダビデ王も、神の前に小さな、人間くさい王にしか過ぎません。
そして、ダビデは、バテ・シェバの夫である忠臣な部下ウリヤを殺し、バテ・シェバを自分の妻の一人にするという、罪をおかします。いわゆる「バテ・シェバ・スキャンダル」です。
しかし、ダビデは預言者ナタンの説教を聞き、犯した罪の大きさに気付き、心から悔い改めます。
ダビデ王の優れたところは、指導者としての賢さや、歌や楽器を奏でる才能や、軍事的指導力ではなく、神を畏れる信仰でした。
詩篇51篇は、この時の懺悔の祈りの歌です。
「ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。
ダビデは人をやって、その女について調べたところ、『あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか。』との報告を受けた。」
サムエル記下11:2,3