10月3日(水)
今日は、詩編95篇と、ルカの福音書3~4章を読みましょう。
イエスが成人となり、公生涯に入られた時、イエスが住んでいたガリラヤは、ユダヤ人の血の混ざった土地の有力者ヘロデという人が領主でした。他方、エルサレムのあるユダヤはローマから派遣されていたポンテオ・ピラトという人が総督として治めていました。もちろん、両地方に強大なローマ大帝国の下でのことでした。このような外面的な世界とは別に、ユダヤ人は神殿を中心にして、一生懸命に律法を学び、これを守るように努力して生きていました。大祭司、祭司、レビ人を中心に、律法学者や熱心なパリサイ派の人々の指導のもとに、民衆の生活は営まれていたと思われます。イエスは、神殿を中心とした宗教社会にも、律法を厳格に守ることが、信仰に取って代わられていることにも反対しました。それは、当時のユダヤ人の宗教社会を根底から覆すことを意味していました。しかも、そのことを権威を持って非常にはっきりと言われました。それで、神に熱心である人々が、神の子を迫害するという結果になってゆきます。
ガリラヤとユダには、会堂があちこちにありました。一つしかなかった神殿とは、同じ礼拝といえども内容は違っていました。神殿は犠牲を捧げることを中心とした礼拝を行い、会堂は、律法を学んだり、祈ったりすることを中心とした礼拝でした。イエスは、その会堂で話をしました。その内容は、異邦人にも救いが及ぶということでした。今考えてみればごく当然のことですが、当時のユダヤ人は自分たちが特別な民族(律法を与えられた民族)と思っていましたから手のつけようがないほど、神のみ心がわかっていなかったのでしょう。
[さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」]
(ルカの福音書3:21~22)