5月30日(木)
今日から、エズラ記が始まります。
今日は、エズラ記1~4章を読みましょう。
バビロン捕囚(第二の出エジプトとも言われる)となっていたユダの人々は、捕囚先には神殿がありませんでしたから、外国の地でもっぱら「モーセの律法」の勉強をして、お祈りをしていたと思われます。そのための集会所として「会堂(シナゴーグ)」が造られたと思われます。ペルシア王キュロス(クロス)の人道的決定で、紀元前538年にエルサレムを中心とした土地に帰った人々は、捕囚時代に身につけた「モーセの律法」の勉強を継続し、さらに神殿を再建しようとしました。私たちが「ユダヤ教」と通常呼んでいるのは、この頃からのもので、「律法」と「神殿」を中心としたものです。そのはじめの成り立ちが、エズラ記、ネヘミヤ記に書いてあります。
新約聖書の背景を知る上でも、大切なところです。
エズラ記は歴代誌の続きです。
歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記はのちの一人の人によって書かれた全くの続きものです。
ですので、エズラ記1:2~4は、歴代誌下36:23を繰り返して話を続けます。
神は外国の王までも用いて、究極的な救いの歴史の出来事(イエス・キリストの十字架)へと導かれます。
エルサレムを中心とした土地に5万人の人々が帰って行きました。
「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。
こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちは、自分たちのもとの町々に住みつき、すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた。」
(エズラ記2:68,70)