6月10日(日)
今日から「文学書」に入ります。
ヨブ記の1~4章を読みましょう。

 私たちがどのように生きることが最良の道であるかを聖書は教えます。もちろん神の示される道です。では、具体的にはどういう道でしょうか。お金のこと、仕事のこと、対人関係、苦しみに会った時の対処、これらに対していろいろな教訓があります。このようなことについて書いてある文書を「知恵文学」と一般に言われています。ヨブ記、箴言、伝道の書(コヘレトの言葉)がこれに当たります。詩の形式で語られます。イエス・キリストもこの形式をとって話をされたことがあります。(マタイ5章「さいわいなる者)

 ヨブ記の尺者はわかりません。作られた年代もよくわかりませんが、一般に紀元前4世紀頃の作ではないかと考えられています。

 ヨブは信仰あつく、正しい人でした。

 ある日、サタンの試みがありました。(不幸がサタンから来るということが主題ではありません)

 不幸に不幸が、苦しみに苦しみが重なることが私たちの人生にあります。一体なぜ正しい信仰のある人が苦難に合うのでしょうか。これこそが、ヨブ記の主題です。

 友達が慰めに来てくれました。ところが慰めるどころかヨブを攻めて議論します。この議論が非常に長く第31章まで続きます。文学的に味わいのあるものです。

 友人はヨブが何か罪を犯したため不幸がやって来たと主張します。私たちもよくバチが当たっとか、因果応報などと言いますが、ヨブ記の神kらの結論は何でしょうか?

「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」
(ヨブ記2:20~22)

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